「つは琉球店」は、琉球芸能を支え続ける創業六七年の老舗【津波三味線店】のオンラインショップです。

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つは琉球店について

津波三味線店の歩み

代表取締役 津波清一(つはせいいち)

代表取締役 津波清一(つはせいいち)

役者をしていた父、津波清吉が舞台で使用する三味線や小道具を自分で制作していたところ、その技術の高さから需要があり「津波三味線店」を創業することになりました。

母のチヨがお店を切り盛りし、小さな畳間では寡黙にコツコツと三味線を作る父。この頃は機械もなく、2人の従業員とともにアメリカ軍から払い下げの機械を改造して三味線や琴を作っていました。

当時は三味線・琴の専門店だったのですがお得意様より「帯を一本仕入れてくれないか?」という注文を受け、それをきっかけに衣装全般の販売が始まりました。そして、エイサーの盛んな中部に置いて欠かせない太鼓などもお店で作ることになりました。

当時は三味線・琴の専門店だったのですがお得意様より「帯を一本仕入れてくれないか?」という注文を受け、それをきっかけに衣装全般の販売が始まりました。そして、エイサーの盛んな中部に置いて欠かせない太鼓などもお店で作ることになりました。

父は太鼓のための木を探しに私や姉を連れてヤンバルまで行き、木を切って太鼓の枠を作りました。そして、太鼓の皮にするための牛の皮をとさつ場から仕入れ、一枚一枚加工して作り上げました。作業は毎日遅くまで、夜は12時までお店をあけて家族みなで協力しながら商品を少しずつ増やしていきました。

津波三味線店店内の写真
津波三味線店 着物

踊りやエイサーの商品が増えて手に入りやすくなったことにより、お客様がとても喜んでくれたことを覚えています。そんなこんなとするうちに客足がどんどん増えていき、この流れから現在の「津波三味線店」の土台が出来ました。幼いながらも、沖縄伝統文化に貢献できていることがとても誇らしく感じていました。

父の背中を見て育った私、津波清一は沖縄国際大学卒業後、父を手伝いながら海洋博や国体などによる沖縄の成長期に応じて県外と取引したり、海洋博の商品を作ったりなどを行いつつ、28歳の時父より事業を承継。

健在の父や母、姉の弘子と一緒に分業しながら生産量を増やし「津波三味線店」を成長させ、沖縄伝統芸能を盛り上げるような事業展開を一生懸命考えました。父は10年前に他界しましたが、物作りをしている時が一番楽しいのは職人の父の血を受け継いだのかなと嬉しく思っています。

         

家族や支えてくださった方々のおかげでたくさんのお客様にご愛顧賜り、現在では県内外、海外からも注文を頂くようになりました。昨今、インターネットが普及し新たな形で伝統芸能を広めて行こうと、令和元年に津波三味線店のネットショップ部門「つは琉球店」をオープンしました。

姪の津波千明(つはちあき)が琉球伝統芸能をしっかりとお届けしつつ、若い感性を取り入れて新しい方向性も産み出すべく日々頑張っています。

琉球伝統芸能は後世に残していくべき素晴らしい文化です。舞踊、衣装、小物、音楽、全てに歴史と想いがあります。また、私自身が両親から受け継いだ想いもあります。それをらを広めるのが私のライフワークだと思っています。津波三味線店、つは琉球店を通して沖縄伝統芸能を未来に繋げて行きたいと思っております。