津波三味線店の歩み
沖縄の伝統芸能を支えてきた老舗、津波三味線店
代表取締役 津波清一(つはせいいち)
津波三味線店を経営するとともに、伝統芸能用小道具の製作から三線の修繕まで幅広く担当。
三線や小道具制作の技術を認められ、「津波三味線店」を創業
昭和25年。役者をしていた父、津波清吉が舞台で使用する三線や小道具を制作していたところ、その技術の高さを認められ「津波三味線店」を創業。
母のチヨがお店を切り盛りし、小さな畳間では寡黙にコツコツと三線を作る父。 この頃は専用の機械もなく、2人の従業員と共にアメリカ軍から払い下げの機械を改造して三線や琴を製作していました。
当時は三線と琴の専門店でしたが、お得意様より「帯を一本仕入れてくれないか」という注文を受け、それをきっかけに衣装全般の販売を開始。 さらに、エイサーの盛んな中部地域において欠かせない太鼓などもお店で作ることになりました。
夜遅くまで続いた太鼓制作の日々
父は太鼓のための木を探しに私や姉を連れてヤンバルまで行き、木を切って太鼓の枠を作りました。
そして、太鼓の皮にするための牛の皮をとさつ場から仕入れ、一枚一枚加工して作り上げました。作業は毎日遅くまで、夜は12時までお店をあけて家族みなで協力しながら商品を少しずつ増やしていきました。
踊りやエイサーの商品が増えて手に入りやすくなったことにより、お客様がとても喜んでくれたことを覚えています。
28歳、父より事業を承継
父の背中を見て育った私、津波清一は沖縄国際大学卒業後、父を手伝いながら海洋博や国体などによる沖縄の成長期に応じて県外と取引したり、海洋博の商品を作ったりなどを行いつつ、28歳の時父より事業を承継。
健在の父や母、姉の弘子と一緒に分業しながら生産量を増やし「津波三味線店」を成長させ、沖縄伝統芸能を盛り上げるような事業展開を一生懸命考えました。 父は10年前に他界しましたが、物作りをしている時が一番楽しいのは職人の父の血を受け継いだのかなと嬉しく思っています。
家族や支えてくださった方々のおかげでたくさんのお客様にご愛顧賜り、現在では県内外、海外からも注文を頂くようになりました。昨今、インターネットが普及し新たな形で伝統芸能を広めて行こうと、令和元年に津波三味線店のネットショップ部門「つは琉球店」をオープンしました。
姪の津波千明(つはちあき)が琉球伝統芸能をしっかりとお届けしつつ、若い感性を取り入れて新しい方向性も産み出すべく日々頑張っています。
琉球伝統芸能は後世に残していくべき素晴らしい文化です。舞踊、衣装、小物、音楽、全てに歴史と想いがあります。また、私自身が両親から受け継いだ想いもあります。それをらを広めるのが私のライフワークだと思っています。津波三味線店、つは琉球店を通して沖縄伝統芸能を未来に繋げて行きたいと思っております。